越境しよう。

ビジネスとソーシャルを越境する会計士のブログ

寄付は偽善か

寄付を話題にあげると出てくるのが、「寄付は偽善なのか」という議論。12月の寄付月間を迎えるにあたって、そこについて書いておきたいと思います。

 

私の解は、「偽善でも偽善じゃなくても、どっちでもええわ」です。その理由を以下で述べていきます。

 

寄付とは、公共事業や社寺などに、金品を贈ること。

通常の購買などと違うのは、「見返りがない」という点。

 

偽善とは、うわべをいかにも善人らしく見せかけること。

「寄付は偽善」派は、「見返りがないのにお金をあげるなんて、人によく見られたいだけでしょ」というのが論拠かと思います。確かにその一面もあるかもしれません。

 

しかし、人が寄付をする理由はそれだけではない。なぜなら、

 

寄付には大きな見返りがあるからです!

 

「さっき見返りがないって言ったやないかい!」。そう思うかもしれません。それはごめんなさい。実は見返りがあるのです。それは、

 

幸福感…

 

そう、我々は寄付から「幸福感」を得ることができるのです。

 

先日NHKオイコノミアで寄付特集をやっていました。そこでは次のような実験が紹介されていました。

 

それは、カナダで行われた「5ドルを被験者に対して渡してその幸福度を測る」という実験。

被験者の半数には、「自分のために」お金を使ってくださいと言って渡し、半数には「他人のために」贈り物を買うか、寄付をしてくださいと言って渡しました。

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 1日の終わりに被験者達に幸福度を聞いた結果、「他人のために」お金を使った人の方が、「自分のために」お金を使った人よりも明らかに幸福度が高いという結果が出ました。20ドルに金額を増やしても、同様の結果になりました。

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つまり、人に何かを「あげる」こと自体が自分の喜びになり、それが寄付の動機になっているのです。

 

寄付は偽善かもしれないし、偽善じゃないかもしれない。

しかし、それって

 

寄付を外側から見ているだけなんじゃないでしょうか。

 

寄付をする人も寄付を受ける人も幸せになるんだったら、やりたい人はやればいいんじゃない?というのが私の解です。

 

12月の寄付月間については、こちら。

giving12.jp